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体育祭

 
 

 

ガマ見学に参加して

By   A.Y.

 沖縄戦で実際に利用されていた糸数壕、アブチラガマを特別に見学できるチャンスがあったので、参加してきました。

 撮影禁止だったので写真などは一切ありませんが、言葉だけでも伝えられることがあればと思います。

 

 糸数というのはそこの集落の名前で、アブ、チラ、ガマ、の三つの言葉で呼んでいるそうです。 アブは、深い縦の洞穴、チラは、崖のこと。ガマは、洞窟やくぼみのことを意味するそうです。

 地元の方は、壕、とはあまり呼ばないそうで、ガマの方を使うそうです。壕は人間がつくったもの、 ガマは自然からできるものだからだそうです。

 

 直径50cm程の大きさの穴から急斜面を下って洞窟の中へ入っていくと、かつて戦争で負傷した兵士や、 戦争から身を隠した地元の方、ひめゆりの学徒達が実際に治療施設として利用していた場所がありました。

 そこは、施設としては不便すぎる、ゴツゴツの硬い岩で滑るし、外からの明かりは一切入ってこない、 目を閉じているよりも真っ暗で、安全と言えるような場所ではありませんでした。 けれど、当時の人たちにとっては、ガマの中にいれば安全だったそうです。

 アブチラガマには井戸がありましたが、ない場合はひめゆりの学徒が仲間に別れを告げてから、 水を汲みに外へ出たくらいだそうです。

 

 奥へと進むと少しづつ空間が広くなっていき、深くなって、光が届く隙もありませんでした。 そこでは助からないとされた兵士達が最後を迎えた場所でもあったそうです。

 その辺りに井戸があって、ある兵士たちはそこに見捨てられ、治療もされず、水も与えられず、ただ最期を待っていたら、 米軍がちょうど真上の空気孔から爆弾を投げ、兵士たちは爆弾の風圧で井戸の底へと落ちていき、 意識を取り戻すとそこには水があって、最終的にその水を利用し、 見捨てられたはずの兵士たちは生き延びることができたそうです。

 

 そのうちのある兵士はやがて双子の姉妹を授かりましたが、その人は、生き延びてしまって申し訳ないと、 話をしていたそうです。 双子の姉妹は、私たちはそんな申し訳ない子どもなのかな?ということを思っていたんだそうです。

 やがて姉妹にも息子ができ、 19歳になって息子が大学へ行くために家を出るといったときとても寂しい気持ちがあったそうですが、 息子は19で大学へ行くけど、お父さんは19で戦争に行ったんだねと話したそうです。

 

 こうして他に助かった人は多くなかったと思います。多くの人は、 真っ暗で前に出した手がどこにあるかもわからないような中で、一度も地上の光を見ることなく、 生き絶えていったそうです。また生き延びた人たちは、真っ暗でよかった、 見えてしまった方が辛いからと話す人が多くいたそうです。

 

 私はこのガマの中で当時の現場を肌で感じながらこの話を聞き、今自分が送っている日々がどれほど平和で幸せなものか、 毎日太陽の陽を浴びて、明るい地上で生活ができているということが当時の人にとってはどれほど幸せなことか、よく考えて、 当たり前だと思っていてはいけないなと思いました。

 また日常で自分たちが悩んでいることや苦しいと思うことが、どれほどちっぽけなものかということも、 今回の見学で痛感してわかりました。戦争の被害を受けた人たちの辛さ、苦労、 そしてそれを乗り越えて戦った人たちの意志そしてどんな状況下でも笑顔でいたひめゆりの学徒達の強さを誇って忘れず、 この見学で感じたことを伝えていくべきだと思いました。

 

 生き延びたひめゆりの方々は、当時の話をするとき笑っているんだそうです。

どんなに辛く苦しい時も目の前の世界が真っ暗でも、希望の光は絶対見失わずにいられる強さを、 私も目指していきたいです。

 

 

 


 

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